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犬料理・猫料理、鯨を食べることは野蛮なことなのか?
最近、猫の糞尿に悩まされ、なんとか猫退治は出来ないものかと、猫について調べていると、猫料理なるものもあることが分かってきて、私に替わって、猫に天誅を加えてくれている人がいるようで、なんだか痛快な気分になっています。といっても、自分で猫を掴まえて、その皮を剥いで…ということをやりたいとは思わないのですが、文化の多様性について思いを馳せずに入られない感じです。
野良猫なのか、放し飼いの飼い猫なのか、猫の糞尿被害は甚大で、許し難いものですが、退治するのは本当に難しい感じです。罠を仕掛けると猫は簡単に引っかかるようですが、それを保健所に持って行くとなると、やはり、心理的な抵抗を感じてしまいます。猫を放し飼いにしたり、野良猫に餌付けをする人の中には、猫が自由に歩き回り、人の庭を荒らすことなどは当然のことで、それに腹を立てている人間の方が間違っていると確信している人がいることを知ると、やはり、野良猫を放置できないと思う感じです。
そんなことを考えていると、鯨を食べることは野蛮なことなのか?という問を思い出しました。鯨肉といえば、学校給食でよく食べた鯨カツが思い出されるので、今さら鯨肉を食べたいとは思わないのですが、捕鯨反対運動やら、フカのヒレは残酷だととか、イルカを殺すなとかいう運動を見るにつけ、そこはかとない違和感を感じてきました。
猫好きの人にとって……と言っても、猫料理・猫肉が好きという意味ではなくて、猫愛護の人にとって、猫を殺すことは許されざる蛮行なのでしょうが、猫料理を嗜んできた人にとっては、猫を食べることは、何でもないことであったり、誇るべき伝統文化である可能性もあります。猫料理が好きな人にとっても、猫を殺すことに気持ちの悪さを感じている人は多いかもしれませんが、それは牛豚でも同じことで、動物を殺すことは、多かれ少なかれ野蛮さを伴うものかもしれません。
犬料理については、昔から中国大陸・朝鮮半島で一般的であると聞いていましたが、中国でも、韓国でも、欧米の動物愛護運動の影響を受けてか、どちらも、オリンピックの開催にあわせるかのように、表向きは禁止されてしまったとかで、何やら考えさせられる思いです。
とは言え、上に政策あれば、下に対策あり! 犬料理は、伝統食として、そのともしびは消えていないそうですが、東アジア・東南アジアのみならず、かつてはフランスなどにおいても食用であったとか…。
犬好きの私(ペットとしての犬が好きという意味で、犬料理が好きという意味ではない!)としては、犬が殺されるのは忍びない思いがするのですが、犬を食べる文化を持つ人を野蛮だとは思いません。自分が犬を殺すことが出来るのかと問われれば私は犬を殺すことは出来ないし、牛豚を殺すこともできません。魚を絞めることさえできないのですが、刺身となっていれば、平気で食べることは出来てしまいます。ここに矛盾はないのかと問われれば、矛盾はあるとも言えるし、ないとも言えます。自分で手を下すことは出来ないのですが、その成果を頂くことは平気である……食に限らず、こういう場面は多々ありますが、冷酷な高利貸しのような取り立ては出来ないけれど、高利貸しにお金を貸す銀行預金は平気だし、自動車の部品を油まみれになって作ることは出来なくても、エアコンの効いたタクシーに乗ることは平気で出来ます。
牛豚を食べる時、その屠殺の瞬間を思い浮かべる必要などないのです! お米を食べる時、そのお米を作ったお百姓さんを思い浮かべろ、なんてことをいう道徳もありますが、そのものの起源をそんなに真剣に問う必要などないのです! 確かに、そのお米はお百姓さんが育てたものでありますが、そこまで遡ったとしても、そこに立ち止まる必要はなく、光合成や地球の起源、宇宙の起源にまで、思いを巡らせ、遡るべきなのです! 牛豚とて同様であり、鯨であれ、犬猫であれ、血にまみれた屠殺の瞬間に立ち止まる必要はなく、受精の瞬間、生命の誕生、宇宙の起源にまで遡れば、屠殺の瞬間が残酷であるとか、ないとか、そんなことは、小さな問題の一つに過ぎないことに気付きます。
鯨を食べること、犬猫を食べること、それらが伝統文化であることも、小さな問題であるかもしれませんが、それを野蛮であるからやめろと叫ぶことも、宇宙の営みからすれば小さな問題です。伝統文化を尊重すべきであると考えることと、野蛮だからやめろと叫ぶことは矛盾をはらみますが、どちらも、「べき」ということを保留して、自然のままにあるようにすれば、鯨を食べること、犬猫を食べることも、自然な営みであると言えるのかもしれません。
→ 犬料理・猫料理リンク集 レシピはこちら! 理論と実践!?

野良猫なのか、放し飼いの飼い猫なのか、猫の糞尿被害は甚大で、許し難いものですが、退治するのは本当に難しい感じです。罠を仕掛けると猫は簡単に引っかかるようですが、それを保健所に持って行くとなると、やはり、心理的な抵抗を感じてしまいます。猫を放し飼いにしたり、野良猫に餌付けをする人の中には、猫が自由に歩き回り、人の庭を荒らすことなどは当然のことで、それに腹を立てている人間の方が間違っていると確信している人がいることを知ると、やはり、野良猫を放置できないと思う感じです。
そんなことを考えていると、鯨を食べることは野蛮なことなのか?という問を思い出しました。鯨肉といえば、学校給食でよく食べた鯨カツが思い出されるので、今さら鯨肉を食べたいとは思わないのですが、捕鯨反対運動やら、フカのヒレは残酷だととか、イルカを殺すなとかいう運動を見るにつけ、そこはかとない違和感を感じてきました。
猫好きの人にとって……と言っても、猫料理・猫肉が好きという意味ではなくて、猫愛護の人にとって、猫を殺すことは許されざる蛮行なのでしょうが、猫料理を嗜んできた人にとっては、猫を食べることは、何でもないことであったり、誇るべき伝統文化である可能性もあります。猫料理が好きな人にとっても、猫を殺すことに気持ちの悪さを感じている人は多いかもしれませんが、それは牛豚でも同じことで、動物を殺すことは、多かれ少なかれ野蛮さを伴うものかもしれません。
犬料理については、昔から中国大陸・朝鮮半島で一般的であると聞いていましたが、中国でも、韓国でも、欧米の動物愛護運動の影響を受けてか、どちらも、オリンピックの開催にあわせるかのように、表向きは禁止されてしまったとかで、何やら考えさせられる思いです。
とは言え、上に政策あれば、下に対策あり! 犬料理は、伝統食として、そのともしびは消えていないそうですが、東アジア・東南アジアのみならず、かつてはフランスなどにおいても食用であったとか…。
犬好きの私(ペットとしての犬が好きという意味で、犬料理が好きという意味ではない!)としては、犬が殺されるのは忍びない思いがするのですが、犬を食べる文化を持つ人を野蛮だとは思いません。自分が犬を殺すことが出来るのかと問われれば私は犬を殺すことは出来ないし、牛豚を殺すこともできません。魚を絞めることさえできないのですが、刺身となっていれば、平気で食べることは出来てしまいます。ここに矛盾はないのかと問われれば、矛盾はあるとも言えるし、ないとも言えます。自分で手を下すことは出来ないのですが、その成果を頂くことは平気である……食に限らず、こういう場面は多々ありますが、冷酷な高利貸しのような取り立ては出来ないけれど、高利貸しにお金を貸す銀行預金は平気だし、自動車の部品を油まみれになって作ることは出来なくても、エアコンの効いたタクシーに乗ることは平気で出来ます。
牛豚を食べる時、その屠殺の瞬間を思い浮かべる必要などないのです! お米を食べる時、そのお米を作ったお百姓さんを思い浮かべろ、なんてことをいう道徳もありますが、そのものの起源をそんなに真剣に問う必要などないのです! 確かに、そのお米はお百姓さんが育てたものでありますが、そこまで遡ったとしても、そこに立ち止まる必要はなく、光合成や地球の起源、宇宙の起源にまで、思いを巡らせ、遡るべきなのです! 牛豚とて同様であり、鯨であれ、犬猫であれ、血にまみれた屠殺の瞬間に立ち止まる必要はなく、受精の瞬間、生命の誕生、宇宙の起源にまで遡れば、屠殺の瞬間が残酷であるとか、ないとか、そんなことは、小さな問題の一つに過ぎないことに気付きます。
鯨を食べること、犬猫を食べること、それらが伝統文化であることも、小さな問題であるかもしれませんが、それを野蛮であるからやめろと叫ぶことも、宇宙の営みからすれば小さな問題です。伝統文化を尊重すべきであると考えることと、野蛮だからやめろと叫ぶことは矛盾をはらみますが、どちらも、「べき」ということを保留して、自然のままにあるようにすれば、鯨を食べること、犬猫を食べることも、自然な営みであると言えるのかもしれません。
→ 犬料理・猫料理リンク集 レシピはこちら! 理論と実践!?

原発は骨の髄まで・・・
昨夏は猛暑で、地球温暖化=二酸化炭素=地球に優しい原子力発電という意見が満ちあふれていましたが、環境保護論の胡散臭さの典型だと思っていたら、案の定、やっぱり原発は危険だ・・・と、180度の展開には、これまた驚かされています。氷河期が来ると騒がれたたかと思えば、地球温暖化だと騒ぎ、今度は、放射能、放射能・・・。目の玉の座った原発反対論の市民活動家は、一貫しているのではありますが、その論はあまりにも頑なであり、やはり違和感を感じてきました。
それはなぜか・・・と考えると、菅氏に感じた違和感、民主党に感じる違和感の根幹に通じるものでありますが、菅氏が、政権最後の置きみやげのように指示したという朝鮮学校の授業料無償かとか、まさにその象徴のような気がします。極端な自民族中心主義も考え物ですが、自民族の利害を無視し、反日教育を続ける学校であったとしても、そこで学ぶ子供にも権利があり、その権利を擁護すべきであるとか、外国籍の人間であっても、税金を支払い、社会生活を行っている以上、参政権を認めるべきであるとか、いったい自分は何に立脚しているのだと考えざるを得ないような理想論を唱え、その理想論で人々を煙に巻くかのようでありながら、実はその理想論の影には、在日外国人からの献金問題などを見ると明らかなように、とんでもない真相が隠されており、なんとも言えない感じになります。
福島で大規模な事故となった今となっては、安くて安全な原子力は幻想に過ぎず、経済よりも安全という理想論が力を持ちつつありますが、やはり、ここで、その理想論の陰に隠れたものを十分に検証する必要があると思われます。外国籍の子供にも権利があり、外国人にも参政権があり・・・、そこで展開される理想論は自分たちの利害よりもまず理念から考えるべきであるという傾向がありますが、その実、その理念の影には、とんでもない、利害関係が含まれています。
原子力発電は莫大な補償金を考えると、利害から見ても現状ではすぐれたものとは言えなくなりつつありますが、しかし、今こそ、原子力発電を骨の髄まで利用しつくし、十分な補償を行うためにも、最大の利益を生みだす視点が必要であると思われます。自然エネルギーの利用も理想としては必要とは思いますが、まだまだコスト面では高すぎますし、火力に頼ったエネルギーでは資源高の影響をもろに受けるだけでなく、イスラム諸国に依存する石油や天然ガスに依存が高いことは危険であるといえます。反イスラエル親アラブの立場に立つ新左翼の活動家に一貫した原発反対論者が多かったことを想起する必要もあるかと思われます。
東京電力を吊し上げ、破綻に追い込もうとしたり、原子力発電の再稼働のハードルをことさら高くしたりするのではなく、今ある原発をどうすれば最大限活用することが出来るのか、安全を軽視すれば今回の福島の事故のように、かえって高くついてしまうことになりますが、最少の費用で最大の安全と利益を生み出す工夫を行って頂きたいと思われます。かつての東電のように、安全対策よりも地域対策、自分たちの厚生福利に費用をかけるのではなく、また、1000年に1度の津波防止のために、15メートルの防波堤を作ろうとか・・・どんなに費用がかかろうとも安全対策には費用は惜しまないとするのでもなく、最少のコストで最大の安全を引き出そうとする工夫が必要であると思われます。
古くなった原子力発電所をどうするか、やはり骨の髄まで利用しつくして頂きたい。核分裂による発電というパンドラの箱を開けてしまった以上、それを遡ってやめてしまうことは、あまりにも愚かなことです。火を使うことは危険であっても、人類が火を使うことを覚えてしまった以上は、いかにそれを安全に有効に使うか・・・。原子力事故処理は災い転じて福となすような技術やノウハウとして、古くなった発電所を延命して、最後まで有効利用する技術・・・核融合を続ける太陽の光を利用する技術も大切ですが、幅広い選択肢として、原子力の研究・利用も必要だと思えてならない感じです。人間みずからが核分裂をコントロールして利用しようというのはアングロサクソン的な自然観であり、個人的には、核融合は太陽にまかせておき、その成果である太陽光や風力を利用したり、原子力の研究は遠い異国の蛮勇な人々まかせておき、優雅にのんびり安全に暮らすというライフスタイルが理想だと思うのですが、それを維持するためにも、利害を最大化するような方法が必要不可欠であると思われます。
それはなぜか・・・と考えると、菅氏に感じた違和感、民主党に感じる違和感の根幹に通じるものでありますが、菅氏が、政権最後の置きみやげのように指示したという朝鮮学校の授業料無償かとか、まさにその象徴のような気がします。極端な自民族中心主義も考え物ですが、自民族の利害を無視し、反日教育を続ける学校であったとしても、そこで学ぶ子供にも権利があり、その権利を擁護すべきであるとか、外国籍の人間であっても、税金を支払い、社会生活を行っている以上、参政権を認めるべきであるとか、いったい自分は何に立脚しているのだと考えざるを得ないような理想論を唱え、その理想論で人々を煙に巻くかのようでありながら、実はその理想論の影には、在日外国人からの献金問題などを見ると明らかなように、とんでもない真相が隠されており、なんとも言えない感じになります。
福島で大規模な事故となった今となっては、安くて安全な原子力は幻想に過ぎず、経済よりも安全という理想論が力を持ちつつありますが、やはり、ここで、その理想論の陰に隠れたものを十分に検証する必要があると思われます。外国籍の子供にも権利があり、外国人にも参政権があり・・・、そこで展開される理想論は自分たちの利害よりもまず理念から考えるべきであるという傾向がありますが、その実、その理念の影には、とんでもない、利害関係が含まれています。
原子力発電は莫大な補償金を考えると、利害から見ても現状ではすぐれたものとは言えなくなりつつありますが、しかし、今こそ、原子力発電を骨の髄まで利用しつくし、十分な補償を行うためにも、最大の利益を生みだす視点が必要であると思われます。自然エネルギーの利用も理想としては必要とは思いますが、まだまだコスト面では高すぎますし、火力に頼ったエネルギーでは資源高の影響をもろに受けるだけでなく、イスラム諸国に依存する石油や天然ガスに依存が高いことは危険であるといえます。反イスラエル親アラブの立場に立つ新左翼の活動家に一貫した原発反対論者が多かったことを想起する必要もあるかと思われます。
東京電力を吊し上げ、破綻に追い込もうとしたり、原子力発電の再稼働のハードルをことさら高くしたりするのではなく、今ある原発をどうすれば最大限活用することが出来るのか、安全を軽視すれば今回の福島の事故のように、かえって高くついてしまうことになりますが、最少の費用で最大の安全と利益を生み出す工夫を行って頂きたいと思われます。かつての東電のように、安全対策よりも地域対策、自分たちの厚生福利に費用をかけるのではなく、また、1000年に1度の津波防止のために、15メートルの防波堤を作ろうとか・・・どんなに費用がかかろうとも安全対策には費用は惜しまないとするのでもなく、最少のコストで最大の安全を引き出そうとする工夫が必要であると思われます。
古くなった原子力発電所をどうするか、やはり骨の髄まで利用しつくして頂きたい。核分裂による発電というパンドラの箱を開けてしまった以上、それを遡ってやめてしまうことは、あまりにも愚かなことです。火を使うことは危険であっても、人類が火を使うことを覚えてしまった以上は、いかにそれを安全に有効に使うか・・・。原子力事故処理は災い転じて福となすような技術やノウハウとして、古くなった発電所を延命して、最後まで有効利用する技術・・・核融合を続ける太陽の光を利用する技術も大切ですが、幅広い選択肢として、原子力の研究・利用も必要だと思えてならない感じです。人間みずからが核分裂をコントロールして利用しようというのはアングロサクソン的な自然観であり、個人的には、核融合は太陽にまかせておき、その成果である太陽光や風力を利用したり、原子力の研究は遠い異国の蛮勇な人々まかせておき、優雅にのんびり安全に暮らすというライフスタイルが理想だと思うのですが、それを維持するためにも、利害を最大化するような方法が必要不可欠であると思われます。
テーマ : 「原発」は本当に必要なのか - ジャンル : 政治・経済
浜岡原発は止めるべきではない!〜トンチン菅は、もうアカン!
やるべきことが行われず、人気取りのための思いつきのような発言が実行されていく恐怖。民主党政権が誕生してから感じてきたことですが、鳩山内閣が地球温暖化のために原子力を推進とぶちあげたかと思えば、今度は原子力は危険だからと大転回。
そもそも、地球温暖化問題、二酸化炭素の関与説など、すべてが疑似科学以前の活動家によるでっち上げであったことが明らかになりつつありますが、原子力発電所の危険性を事故が起こってから、今さらながらに重大視するなど、愚の骨頂と言わざるをえません。
福島の事故がここまで大きくなってしまえば、地球温暖化防止、二酸化炭素削減どころではなく、原子力による安価で安定した発電という、もっとも期待されるべき原子力発電所の使命そのものが揺らいできていますが、ここで辞めるぐらいなら、初めからやらない方が良かったことであり、ここまで来れば、この事故の経験を無駄にすることなく、原子力発電の削減・廃止など、考えるべきではないのです。
想定外の津波による天災なのか、そもそも安全管理がずさんであった人災なのかはともかくとして、福島の事故を受けて、鬼の首でも取ったかのように、今さらながら浜岡原子力発電所の危険性を取り上げて、発電停止に追い込むなど、愚の骨頂。新たな安全対策は必要であったとしても、世間の不安を扇動し、電力不足による混乱に拍車をかけてどうするのか。やるべき時期が完全に違うのではないか。福島の事故が起こる前にやっていれば、先見性のある英断であるといえますし、電力不足による混乱が一段落するまでは、運転を継続させ、世間の不安が一段落してから、運転を停止するのも英断といえます。
脱原発の次世代エネルギーの研究が大切であることは言うまでもないことですが、ここで、原発にフタをしていまうことは、あまりにももったいないことであり、ここで原発をやめるのなら、初めからやるべきではなかったのです。風力には風力の、太陽光には太陽光の、バイオマスにはバイオマスの様々な問題があり、原発を中途半端な形で中止してしまうなら、新たなエネルギー活用も、新たな問題が起こるたびに腰砕けになり、中途半端に終わってしまう可能性があり、原発は原発で最後まで極め、それと同時に、次世代エネルギーの活用を考えて行くべきなのです。
得体の知れない数多くの諮問会議による問答が続き、決めるべきことがなかなか決まらない現状がある一方で、浜岡原発は停止すべきだとか、東京電力の株主責任だとか、東京電力に融資をしていた銀行の貸し手責任だとか、JALを会社更生法に追い込んだのと同じ、大衆迎合的な思いつき発言の数々。市場は混乱し、混乱に乗して儲けた人はいても、トータルとしての損失は計り知れないものがあります。労働組合を背景にやりたい放題だったJALや東京電力の職員の責任。地球温暖化といった虚妄をもとにして原子力推進を唱えた民主党の責任・・・。こういったものこそ、問題にされるべきものなのです。
そもそも、地球温暖化問題、二酸化炭素の関与説など、すべてが疑似科学以前の活動家によるでっち上げであったことが明らかになりつつありますが、原子力発電所の危険性を事故が起こってから、今さらながらに重大視するなど、愚の骨頂と言わざるをえません。
福島の事故がここまで大きくなってしまえば、地球温暖化防止、二酸化炭素削減どころではなく、原子力による安価で安定した発電という、もっとも期待されるべき原子力発電所の使命そのものが揺らいできていますが、ここで辞めるぐらいなら、初めからやらない方が良かったことであり、ここまで来れば、この事故の経験を無駄にすることなく、原子力発電の削減・廃止など、考えるべきではないのです。
想定外の津波による天災なのか、そもそも安全管理がずさんであった人災なのかはともかくとして、福島の事故を受けて、鬼の首でも取ったかのように、今さらながら浜岡原子力発電所の危険性を取り上げて、発電停止に追い込むなど、愚の骨頂。新たな安全対策は必要であったとしても、世間の不安を扇動し、電力不足による混乱に拍車をかけてどうするのか。やるべき時期が完全に違うのではないか。福島の事故が起こる前にやっていれば、先見性のある英断であるといえますし、電力不足による混乱が一段落するまでは、運転を継続させ、世間の不安が一段落してから、運転を停止するのも英断といえます。
脱原発の次世代エネルギーの研究が大切であることは言うまでもないことですが、ここで、原発にフタをしていまうことは、あまりにももったいないことであり、ここで原発をやめるのなら、初めからやるべきではなかったのです。風力には風力の、太陽光には太陽光の、バイオマスにはバイオマスの様々な問題があり、原発を中途半端な形で中止してしまうなら、新たなエネルギー活用も、新たな問題が起こるたびに腰砕けになり、中途半端に終わってしまう可能性があり、原発は原発で最後まで極め、それと同時に、次世代エネルギーの活用を考えて行くべきなのです。
得体の知れない数多くの諮問会議による問答が続き、決めるべきことがなかなか決まらない現状がある一方で、浜岡原発は停止すべきだとか、東京電力の株主責任だとか、東京電力に融資をしていた銀行の貸し手責任だとか、JALを会社更生法に追い込んだのと同じ、大衆迎合的な思いつき発言の数々。市場は混乱し、混乱に乗して儲けた人はいても、トータルとしての損失は計り知れないものがあります。労働組合を背景にやりたい放題だったJALや東京電力の職員の責任。地球温暖化といった虚妄をもとにして原子力推進を唱えた民主党の責任・・・。こういったものこそ、問題にされるべきものなのです。
テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
東京電力の電力不足解消と損害賠償金捻出のために山梨・静岡の営業権を中部電力に譲渡する案は?
東京電力の電力不足解消と損害賠償金捻出のために、山梨県や静岡県の富士川以東の営業権を中部電力に譲渡するという議論はあるのか気になっています。
東京電力の山梨県や静岡県の富士川以東を営業圏としていますが、これらの地域は中部電力の営業エリアであってもおかしくないエリアです。
家電製品だと周波数が違っても、どちらにも対応できるようになっていますし(工業用の機械ものでも調整すれば可能でしょうし)、中部電力に電柱・送電線、変電所などを譲渡して、中部電力の電気が利用できるようになると、山梨県や静岡県にとっても電力供給への不安が解消されますし、東京電力にとっても電力不足解消の一助となりますし、損害賠償金捻出のための資金も得ることができるかと思われます。
発電と送電を分離する電力自由化議論ではなく、既存の電力会社による地域の独占の枠組みは残して、地域の営業譲渡を行う議論を聞かないのですが(私が知らないだけ?)、誰か提言している人はおられるでしょうか?
中部電力にとっては、営業エリアの拡大と売上増にもなりし、中部電力管内にある東京電力施設(安曇ダム発電所など)の譲渡とセットになれば、ねじれ状態が解消され、地域にとってもプラスになるように思えてならない感じです。
東京電力の山梨県や静岡県の富士川以東を営業圏としていますが、これらの地域は中部電力の営業エリアであってもおかしくないエリアです。
家電製品だと周波数が違っても、どちらにも対応できるようになっていますし(工業用の機械ものでも調整すれば可能でしょうし)、中部電力に電柱・送電線、変電所などを譲渡して、中部電力の電気が利用できるようになると、山梨県や静岡県にとっても電力供給への不安が解消されますし、東京電力にとっても電力不足解消の一助となりますし、損害賠償金捻出のための資金も得ることができるかと思われます。
発電と送電を分離する電力自由化議論ではなく、既存の電力会社による地域の独占の枠組みは残して、地域の営業譲渡を行う議論を聞かないのですが(私が知らないだけ?)、誰か提言している人はおられるでしょうか?
中部電力にとっては、営業エリアの拡大と売上増にもなりし、中部電力管内にある東京電力施設(安曇ダム発電所など)の譲渡とセットになれば、ねじれ状態が解消され、地域にとってもプラスになるように思えてならない感じです。
テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
増税反対。もっと明るく、前向きに!
被災地を思えのかけ声のもと、震災復興のための大増税が計画されているようですが、贅沢は国民の的だと言わんばかりの自粛ムードにしても、陰気くさくて、どうにもやりきれない思いがしています。
失われたものは戻らないし、いかに嘆いても今さらどうかなることはない。津波にしても、原子力発電所の事故にしても、もっと安全対策をしていれば・・・と、悔やまれることがあったとしても、それはもう後の祭り。100年に1度、1000年に1度の天災は天災であって、運命として受容するしかない。
一連の東京電力への批判をを見ていると、責任感の感じられない官僚的な対応、好待遇にあぐらをかく労働貴族による傲慢な対応による不満。誰かをスケープゴートにして、責任を問い、カタルシスを感じる人間の心情がわからないでもない気もするが、それが人間のルサンチマンというのでしょうか・・・。
津波対策不足への指摘があったにもかかわらず、対策を怠ったのは人災であるとか、確かにそれは一理のある批判ではあっても、それが行き過ぎると、保身第一の官僚主義によって、安全対策とコストとの最善のバランスが崩壊する危険があります。
守るべきものと改めるべきもの、捨て去るべきもの。そのバランス、塩梅がまさに肝要です。安全は大事だけれど、行きすぎると何もできなくなったり、とてつもない高コストになったり。その逆も真ですが、何度も何度も津波におそわれる村に住み続ける、まぁ大丈夫だろうという楽天性。
由緒正しい高級住宅地の耐震構造8000万円の100年住宅を注文建築で建てるか、津波や液状化で吹き飛んでしまうような怪しい土地の1800万円の安普請の建て売り住宅を買うか、どちらの選択があっても言い訳で、安全対策が厳しくなりすぎると1800万円の家は建たなくなり、8000万円の家が買えない限り、持ち家は持てなくなってしまい、安全対策が緩くなりすぎると、命がいくつあっても足りないという危険な状況に・・・
それはともかくとして、震災復興による大増税は、世の中をますます暗くしてしまいます。復興にかかる費用は、長期借り入れで・・・。国が税金を投入し、国が主導して復興を行うよりも、地域や企業、個人が、自分たちが考えたプランを自分たちが準備した資金で、自分たちで行う。国が負担すべき費用は国債で、自治体が負担すべきものは地方債、個人や企業が負担すべき費用は保証協会保証付き長期資金の提供など・・・。
日銀による債権の引き受け。そこには資金が焦げ付かないために、国の関与、審査は必要ですが、地銀・信金などによる与信を活用して、なるべく関与は少なくする方向で・・・。30年、50年という長期資金が可能ならば、返済負担は極めて少なく、かつ、国主導ではなく、自分たちが責任を持って自分好みの復興ができれば・・・と思えてならない感じです。
増税による復興への強制、自粛ムードによる強制、なんともやりきれない気分になります。これを機に復興のための長期低利資金提供の枠組み、デフレ脱却に向けた資金の流れを作って欲しいものであると思われます。
東京電力の責任を追及し、国有化して血祭りに上げようという機運もありますが、東電役員や担当者の責任追及は今後の安全対策のためにも必要なことではありますが、株主価値を毀損したり、債権がデフォルトする自体となれば、経済全体が萎縮することになってしまいます。
年金資金の信託口、第一生命、日本生命、三井住友、みずほといった金融機関、東京都といった社会的影響力の大きいなかば公的な東京電力の株主による資本の提供、社債や銀行からの借り入れがあってこそ、会社がまわっているのであり、その権利がないがしろにされることは由々しき事態です。
りそな銀行への公的資金の注入によって、りそなが復活したように、電力会社である東京電力が復活するシナリオは明るいものであるべきです。暗い後ろ向きの議論ではなく、明るい前向きの議論へ・・・。
失われたものは戻らないし、いかに嘆いても今さらどうかなることはない。津波にしても、原子力発電所の事故にしても、もっと安全対策をしていれば・・・と、悔やまれることがあったとしても、それはもう後の祭り。100年に1度、1000年に1度の天災は天災であって、運命として受容するしかない。
一連の東京電力への批判をを見ていると、責任感の感じられない官僚的な対応、好待遇にあぐらをかく労働貴族による傲慢な対応による不満。誰かをスケープゴートにして、責任を問い、カタルシスを感じる人間の心情がわからないでもない気もするが、それが人間のルサンチマンというのでしょうか・・・。
津波対策不足への指摘があったにもかかわらず、対策を怠ったのは人災であるとか、確かにそれは一理のある批判ではあっても、それが行き過ぎると、保身第一の官僚主義によって、安全対策とコストとの最善のバランスが崩壊する危険があります。
守るべきものと改めるべきもの、捨て去るべきもの。そのバランス、塩梅がまさに肝要です。安全は大事だけれど、行きすぎると何もできなくなったり、とてつもない高コストになったり。その逆も真ですが、何度も何度も津波におそわれる村に住み続ける、まぁ大丈夫だろうという楽天性。
由緒正しい高級住宅地の耐震構造8000万円の100年住宅を注文建築で建てるか、津波や液状化で吹き飛んでしまうような怪しい土地の1800万円の安普請の建て売り住宅を買うか、どちらの選択があっても言い訳で、安全対策が厳しくなりすぎると1800万円の家は建たなくなり、8000万円の家が買えない限り、持ち家は持てなくなってしまい、安全対策が緩くなりすぎると、命がいくつあっても足りないという危険な状況に・・・
それはともかくとして、震災復興による大増税は、世の中をますます暗くしてしまいます。復興にかかる費用は、長期借り入れで・・・。国が税金を投入し、国が主導して復興を行うよりも、地域や企業、個人が、自分たちが考えたプランを自分たちが準備した資金で、自分たちで行う。国が負担すべき費用は国債で、自治体が負担すべきものは地方債、個人や企業が負担すべき費用は保証協会保証付き長期資金の提供など・・・。
日銀による債権の引き受け。そこには資金が焦げ付かないために、国の関与、審査は必要ですが、地銀・信金などによる与信を活用して、なるべく関与は少なくする方向で・・・。30年、50年という長期資金が可能ならば、返済負担は極めて少なく、かつ、国主導ではなく、自分たちが責任を持って自分好みの復興ができれば・・・と思えてならない感じです。
増税による復興への強制、自粛ムードによる強制、なんともやりきれない気分になります。これを機に復興のための長期低利資金提供の枠組み、デフレ脱却に向けた資金の流れを作って欲しいものであると思われます。
東京電力の責任を追及し、国有化して血祭りに上げようという機運もありますが、東電役員や担当者の責任追及は今後の安全対策のためにも必要なことではありますが、株主価値を毀損したり、債権がデフォルトする自体となれば、経済全体が萎縮することになってしまいます。
年金資金の信託口、第一生命、日本生命、三井住友、みずほといった金融機関、東京都といった社会的影響力の大きいなかば公的な東京電力の株主による資本の提供、社債や銀行からの借り入れがあってこそ、会社がまわっているのであり、その権利がないがしろにされることは由々しき事態です。
りそな銀行への公的資金の注入によって、りそなが復活したように、電力会社である東京電力が復活するシナリオは明るいものであるべきです。暗い後ろ向きの議論ではなく、明るい前向きの議論へ・・・。
テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
- 最近の記事
- ブログ紹介 (12/12)
- 犬料理・猫料理、鯨を食べることは野蛮なことなのか? (11/05)
- 原発は骨の髄まで・・・ (09/04)
- 浜岡原発は止めるべきではない!〜トンチン菅は、もうアカン! (05/14)
- 東京電力の電力不足解消と損害賠償金捻出のために山梨・静岡の営業権を中部電力に譲渡する案は? (04/28)
- 増税反対。もっと明るく、前向きに! (04/09)
- 東証社長、MBOに「投資家を愚弄」と不快感 (02/23)
- アートコーポレーションのMBOに失望 (02/13)
- アートコーポレーション株主総会 (12/24)
- 尖閣ビデオ、流出したことよりも、公開しなかったことの方が問題! (11/13)
- 為替介入は是か非か? (09/22)
- 民主党が過半数を取ると・・・外国人参政権、労働組合、規制強化・・・ (07/10)
- 参議院選挙前?新政権に望むこと (07/07)
- 普天間問題?探究のプロセスへの評価 (06/04)
- あえて、小沢氏を弁護すると・・・ (01/16)
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